1907年世界金融恐慌

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あらすじ/作品情報

著者が最初に本書を発行したのは、2007年。執筆を進めるなか、1907年当時の膨大な資料や研究結果から、著者は近い将来において別の金融危機が発生すると確信していた。そして折しも同年末から世界を巻き込むに至る「サブプライム危機」が発生。その内容は、1907年のそれとあまりにも酷似していたのである。本書は1907年に発生した金融恐慌のドキュメントである。世界大恐慌と言えば1929年が有名だが、FRB(連邦準備制度理事会)設立をもたらしたのが本書のテーマとなる1907のパニックだとなれば、その甚大さは容易に想像がつくだろう。本書は、当時の米国金融市場の背景や暴落の様子、緊迫する市場関係者の焦りや大衆心理が生々しく再現されているだけでなく、金融制度の変遷や金融史、さらに2007年のサブプライム危機との比較を通して、金融恐慌が起こる要因も知ることができる。1900年当時米国では産業化が進み、その経済規模も拡大していた。1906年は楽観論に伴う好景気を迎えてはいたが、4月にサンフランシスコ大地震が発生。地震の被害もさることながら、火災による被害が甚大だった。多くの顧客を有していた保険会社は巨額の支払い義務が生じ、保有していた株を売却。さらに復興のために、米国は莫大な資金を調達する必要に迫られた。金融恐慌が起こる前年の時点で、すでに多くの銀行や信託会社が疲弊していたのである。不安を抱えたままの1907年10月。ある男が富と名声を求めて株式市場に勝負を仕掛けた。この計画は思惑通りにはいかず、結局は失敗に終わる。計画に関与した強欲者たちが表舞台から撤退、で完結のはずだった。しかし、ここからドミノ倒し的に世界を巻き込む金融パニックへとつながっていくのである。当時の金融制度の脆弱さとさまざまな噂を盲目的に信じた大衆の預金引き出しが、現金の流通を止めてしまう。銀行に押し寄せた人々の列が外の通りを埋め尽くす。枯渇する現金、不安が不安を呼ぶ群集心理。政府による小手先の救済策では回避できない――。このとき辣腕を振るったのが、ジョン・ピアポント・モルガンである。当時70歳、引退も視野に入れていた実業界のドンは、それから約3週間、あらゆる力を使って米国経済を破滅から救っていった。著者の調べによると1907年の金融恐慌あとの100年間で、米国は景気後退を19回、株式暴落を15回味わった。どんなに制度を整え、危機に備える体制を強化しても歴史は繰り返すのである、サブプライム危機のように。特に世界中が、経済も流通も情報もより密接になった現代、金融危機もけっして単独では終わらない。今後、大恐慌が訪れとき、J・ピアポント・モルガンのような独裁的なまでの指揮者は現れるだろうか。それを期待する前に、できる得る最善の方法は過去から学び、パニックに陥る側ではなくうまく立ち回る側として備えることである。

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